『スイミング・プール』レビュー

フランソワ・オゾン曰く、「僕は女が好きだ」。この発言は、女優を魅力的に撮ることへの自信の現われだろう。それが単なる驕りではないことは、『スイミング・プール』を観ればわかる。これほど女性をフィルムに美しく焼き付けた作品は、まれだからだ。

───スランプに陥っている、女流ミステリー作家のサラ・モートン(シャーロット・ランプリング)は、出版社の社長に薦められ、彼のプール付き別荘に一人で滞在していた。束の間のヴァカンスを楽しんでいるところに、社長の娘、ジェリー(リュディヴィーヌ・サニエ)が現れる。自由奔放なジェリーに苛立ちながらも惹かれていくサラ。やがて、プールで事件が起こる───

ジェリーの謎と、プールで起きた事件の真相を巡るミステリーだが、女性が再生する物語でもある。このあたり、脚本も手掛けるフランソワ・オゾンの女性賛歌であろう。そして、その監督の意志を託された二人の女優が素晴らしい。

シャーロット・ランプリングの凛とした存在感は圧倒的で、「女優はかく有るべし」と思わせる。私などは後半のあるシーンに強い感銘を受け、彼女の姿が脳裏に焼き付いてるくらいだ。撮影時に50歳後半だった彼女の輝きは、女性には年代それぞれの美しさがあることを今一度、思い起こさせてくれるだろう。

対するリュディヴィーヌ・サニエは、若さとセックスの象徴としてのジェリーを表現しきっている。「"下品な娘"っぽく、押し付けがましいくらいのセクシーさがある体を作り上げた」と語るとおり、殆どのシーンが半裸かヌードのジェリーは、だらしなくセックスアピールを垂れ流している。フランソワ・オゾンの前作、『8人の女たち』でのボーイッシュな彼女とは、まるで別人のようだ。「本作で、監督と芸術的な意味での共犯者になれた」と言うサニエは、フランソワ・オゾンとの相性も良いのだろう。

シャーロット・ランプリングとリュディヴィーヌ・サニエ、二人のデュオが織り成す緊張感と、フィリップ・ロンビによる、印象的でミステリアスな音楽が本作を引き立てている。

謎解きで行き詰まり、ほうり出してしまう人もいるようだが、それは勿体ない。ラストシーンを踏まえたうえで、もう一度、南仏での出来事を丁寧に再構築していけば、謎はおのずと解ける。その先に、隠されていた本質的なストーリーが浮かび上がってくる心地の良いカタルシスが待っている。ゆっくりと長く、余韻を楽しめる作品です。

評点(10点満点)

【8.5点】是非謎を解いて、物語を噛み締めて欲しい。

タイトル:
『スイミング・プール』レビュー
カテゴリ:
映画
公開日:
2006年09月10日
更新日:
2018年05月30日

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